和田アキ子とショッピングに行きたい

最近Twitterのフォロワーさんや、フォロー外だけど憧れてる方々のブログを読むことが多くて、その度に「すごいなあ」と思ってしまう。なんというか、もう全然ちがうのだ。趣味の話してるときの顔と。そういう一面を見るとメチャクチャ親近感を覚えて、なんだかもう昔からの友達みたいで、多分実際に会っても「よっ」って感じで挨拶できるんだろうなあとか考える。わたしの勝手な妄想だけど。

 

いつもいつも、そんなことばかり妄想してしまう。はっきり言って、わたしは妄想が好きだ。親も同様に好きなようだ。親譲りの妄想族で子供の時から妄想ばかりしている。

というのも、わたしには彼氏がいる。もちろん、頭の中で。妄想の中の彼氏は優しくて、非凡な才能を持っていて、それを鼻にかけず、わたしに新しい世界を教えてくれる。アメリカ留学を経験している。身長は平均よりだいぶある。ベースかサックスができる。パソコンをするときだけ眼鏡をかける。出不精なのが玉に瑕の、同い年の好青年。

わたしは、人から彼氏がいないのをバカにされるたび、その男の子のことを考えた。その男の子がいたずらっぽくささやくのだ。「俺のこと、みんなにバラしちゃいなよ」と。「ダメだよ」とわたしは身をよじる。「もしバラしたら、ライバルが増えちゃうじゃんか」。そんな無生産な会話を繰り返して、二人でニヤニヤするだけの夜を過ごすのだ。何度も何度も。

 

でも、そんな人いるわけない。現実のわたしには彼氏なんかいないのだ。好きになってくれる男さえ、いないのだ。容姿も全然自慢できないし、キャピキャピすることも、フリフリ花柄の持ち物を持つことも、まったく我慢ならないのだ。「うるせえ!!」とか大声で言っちゃって、一般的にはおもしろくないことにもいちいち「ギハハハハ!!!」と笑ってしまうのだ。女友達の前でも、好きな人の前でも、どうでもいいおっさんの前でも、それは同じ。なんだか、女の子のピンク色のフワフワな世界に、自分がフワフワな服を着て、フワフワの喋り方で女の子座りをしているのが、滑稽に思えて仕方がないのだ。

 

わたしの母親は真逆で、いい意味でも悪い意味でも「女」な人である。わたしは小さいころからいわゆるショッピングに誘われてきたし、毎回その誘いを断った。図書館か本屋にしか行かなかった。とは言え本を読んで勉強する賢い子どもだったというわけではなく、ただ誰とも喋りたくなかっただけなのだ。でもさすがに申し訳ないと思って、たまに母と一緒に街へ出掛けても、ハンガーに掛けられたオシャレな服や、かわいらしい食べ物を見ると、もう目の前がくらくらしてダメになる。ぎらぎらしている。せいぜい二時間くらいがやっとだった。「もう帰ろう」と言うと、母はいつも寂しいような、残念そうな顔をした。

 

今思うと、申し訳かったなと思う。わたしが住んでいる地域の夕方のニュースでは、毎日新生児とその親を紹介するコーナーがあって、なぜかこれがたまらなく好きでよく見ているんだけど、女の子を生んだ母親は必ずと言っていいほど「一緒に買い物をしたり、オシャレを楽しみたいです!」と嬉しそうに言うのだ。それが一部の母親にとっての、女にとっての、夢みたいなものであるんだったら、わたしはそれをギッチャギチャに踏みにじることをしてしまった。一緒に外食をすることも、「面倒くさい」と一蹴してしまった。

 

そういう自責の念でいっぱいの、心身共にブサイクな日々を送っていたところ、今週の日曜日にあった「アッコにおまかせ!」で、和田アキ子さんがボソッと呟いた言葉が忘れられなくなってしまった。

 

「たまに親に申し訳なくなるよ。もうちょっと女らしく成長しておけばよかったって。そういうのない?」

 

ああ、この人とショッピングとかに行ってみたい、と思った。

こういう風に芸能人の言葉をブログに取り上げるのって、すごくジジババ臭くて苦手なんだけど、それでもやっぱり書かずにはいられなかった。わたしとアッコ、女になりきれなかった女水入らずで、女の子女の子したビルにショッピングとかに行って、カフェとかでシフォンケーキを頼んで、「これで合ってるのかな」「こんなことして大丈夫なのかな」とか言い合いたい。「クッソ、腹膨れねえ」とかぶつくさ言ってそのまま居酒屋に直行したい。「やっぱワシらには無理やったな」とか笑い合いたい。散々騒いで別れた後、こっそり薬局に行って、新しい春色の口紅とかを買ってみたい。好きな人の前で、ちょっと髪を耳にかけたりしてみたい。

それくらいのことは、許されるんじゃなかろうか。デブスのわたしでも、豪快なアッコでも。

というわけで、アッコ、ワシとケー番交換しようや。