ceroの「ロープウェー 」を聞いた

 あらゆる紙を破り捨てるような人生だった、もし将来の可能性みたいなものが一つひとつ紙に記されているとするならば。冗談半分で、力なく両手をそれぞれ逆の方向にねじると、紙はわたしの指先であっけなくビリッと音を立てる。そうしてもはやただの紙くずとなり、床に雪のように積もったそれらを見て、初めて「破けてしまった」と自覚するのだ。もう元には戻らない。だからこうして深夜に、誰も見ていないブログで人生について書かなければならなくなる。

 ceroというバンドがあって、わたしは彼らの音楽が好きだ。わたしが人生で一度、しかも修学旅行でしか行ったことのない東京で彼らは活動しており、その曲調はとてもおしゃれでけばけばしくもなく、聞くと都会の生活が耳から流れ込んでくるようであった。そして洗濯機の中で起こるような音楽の渦にわたしは巻き込まれていき、いつの間にか体にこびりついた田舎の泥を洗い流してくれる。ceroはわたしを勘違いさせてくれるのだ。

 そんな彼らがYouTubeに新しく曲をアップしたと聞けば、恥ずかしながらCDを購入していなかったわたしには聞く以外にやるべきことなどない。早速イヤフォンを差し込み再生ボタンを押し、しかしながら流れてきた音はこれまでのceroのそれとは同じようでいてまったく異なっていた。

 正直なところ、わたしは音楽についてほとんど無知である。熱心に追いかけ続けているジャンルがあるわけでもなく、楽器が弾けるわけでもなく、専門的な知識などひとかけらも持ち合わせていない。だからこの「ロープウェー」という曲が他とどういう点で違っているか、どの程度違っているかなどということは一言も説明ができないのである。ただ一つだけ分かるのは、いつもより歌詞が大きく響いてきた気がするということだ。

朝靄を切り裂いてロープウェーが現れる

すれ違うゴンドラには人々

気恥ずかしげにその手を振って

一瞬で霞に消えて視えなくなる 

  この部分を聞いて、鮮烈なイメージが靴下を裏返すように溢れてきた――今でもはっきり覚えている、幼いころの家族旅行で乗った、神戸の布引ハーブ園のロープウェーからの景色を。あのときのわたしは母親の隣に座り、父親が真向いにいて、両親どちらかがくれたブルーベリー味の飴を、鼻水と一緒に涙まですすりながら口で転がしていた。ぐんぐん遠のいていく神戸の街がわたしにはひたすら怖かったのだ。ロープウェーとはいえたかが紐につるした箱。真下に生い茂る木々の間に落ちれば、われわれ家族の死体は、そこに住む巨大な怪物に丸のみされて永遠に誰からも見つからぬような気がした。

 当然のことながら怖い、怖いと両親に叫んで訴えたが、娘がそんな状態にもかかわらず、彼らはお気楽に「怖いか~」とニコニコしていた。そうする間にもどんどん高度は上がっていく。しまいには父親が完全に面白がってしまい、泣くわたしの顔をにやにやと見ながら体を激しくゆすってゴンドラ全体を揺らし始めた。ぶどうの実のように揺れる箱、泣き叫ぶわたし、爆笑する両親。正気の沙汰ではない。わたしは、このとき初めて両親に対して本気の憎悪を覚えた。

 しかし結局最後までゴンドラは落ちず、森の怪物も一度もニュースにならぬまま、わたしはもうすぐハタチになろうとしている。「ロープウェー」の一節がこれらの情景をはっきりと思い出させたとき、わたしはなんだか猛烈に泣けてきてしまった。こぼれたのは、感情的な涙が出る要因――恐ろしさや悲しさ、喜びなど――がすべて混ざり合ったしずくだった。わたしはあれから何枚の紙を破ったのだろう。得たいもののために、どれだけのものを捨てていったのだろう。それでも叶えられなかった希望を、どうやって忘れていったのだろう。そうして過ぎ去っていったものたちが、ときおり生温かい寝息をわたしに吹きかけてくる。痛みや、不快や、幸福を抱きながら、「人生が次のコーナーに差し掛かって」いく。わたしは、すれ違うゴンドラの中にあの日の泣き叫ぶ自分を見、あっと思ったときにはもう、靄の中に消えてしまっているのだ。

 今でもロープウェー事件についてはときたまやり玉に挙げるのだが、当の父親も母親も「そんなことあったっけ?」の一点張りである。しかも最悪なことに、二人とも心の底からとぼけた顔をするものだから、こちらとしてもそれ以上言う気にはなれなくなってしまう。次に家族で乗ったときには、復讐が彼らを待っているはずだ。

 

※歌詞の引用がまずかったらすぐ消します。