タトゥーの入ったキャンドル

冬が好きだ。毎年毎年この季節がやって来るたびに、びっくりするほど厳しい寒さに身も心も縮こまってしまうけれど、それでもやはり「好きな季節は冬」と言ってしまうのである。しかし冬が好きな人と出会うのは、結構稀だ。少なくとも個人的には。

一時期、結局後悔するから冬と言うのはやめようと、「秋」と答えていたことがある。秋は十分魅力的であるので理由にも困らず、適当にでっち上げることができる季節だったし、微笑みながらそう答えると、どんな人からも大体同意の声が上がるのだった。その後の会話も心なしか盛り上がった。というより、会話の一部に盛り込むのにちょうどいい季節なのだ、秋は。

でも、冬が巡って来てどんなにその寒さに慄いていても、自分が本当に好きなのは、やっぱり冬なのである。寒いからという理由で切り捨てるのにはもったいないほどの、そこには深い憂慮があるような気がするのだ。どの季節よりも含蓄がある顔をしている。柔らかい繭が浮かんでいるよう感じ。どんなに言葉を尽くしても、うまく説明できない魅力だ。

 

そんな冬のせいなのか、自分をとりまいている環境のせいなのか、最近真面目にものを考えるようになった。今回のブログがいつもと毛色が違うのはそのせいだ。前回までは読んでくれる人を意識していたけれど、今書いているのは全く逆で、本当は誰にも読んでほしくない。それでも書かずにはいられなくて、公開せずにはいられないのは、やっぱりどう足掻いてもわたしが人間だからである。純粋な自己顕示欲だ。多分数年か後にこのブログを発掘したら、「なんて青臭いんだろう」と恥ずかしく思うだろうな、と分かっていながらも書いている。

 

わたしはまだまだ青二才で、もちろん評価する側ではなく評価される側にいるけれど、そのせいで最近どんどん自分が、もっと言うと他人が分からなくなっている。なんだか、キャンドルになった気分なのだ。匂いに飽きられてフッと消される瞬間をたまらなく恐れている。

それでもスーッと全部見えてしまう瞬間というのが、たまにあるのだ。自分の置かれている状況や周りの人の気持ちが、非常に客観的に、小説を読んでいるみたいに分かるときがある。そうだからこそ、自分が何をすべきなのか、ますます分からなっていく。……鬱屈。やめよう。

これ以上書くと個人的な愚痴になってしまうので、やめる。その代わりに、季節の話をもう少し続けたいと思う。

 

自分の中には、ちょっと憎らしい気持ちも伴った、確固たる冬への愛(といってもいいもの)がある。だけど結局口では、秋と答えている。そうなんですか、わたしも好きなんです、秋が。食べ物もおいしいしねえ。そういえばこの間そこにできたお店、おいしかったんですよ……

別に秋が嫌いなわけじゃない、むしろ好きな方だけど、そう言うたびにどこか空漠とした気分になるのだ。

 

そんなとき、タトゥーを入れたくなる。十円玉くらいの大きさのものを内ももに入れて、誰にも見せずに、自分もその存在を忘れてしまうような。でもたまに思い出すような。そういう道路標識のようなものがたまらなく欲しくなるのだ。

でも、それが一番虚しいことなのかもしれない。タトゥーが入っていてもいなくても、結局キャンドルはキャンドルで、消されずともいつか全部溶けていってしまうから。それでまた新しいことが始まる。年末のこの季節になると、特にそういうことを強く感じるから、やっぱり冬は罪深い季節である。

 

今の自分には確かに「ゆらぎ」みたいなものがある。いつもうんうん言いながら書いているブログだけど、今回はいっそう遅々として進まず、しかも暗い話題だったので、書くのに何時間もかけた。雲をつかんでいるみたいだった。でも、数回に一回くらい、自分の気持ちを吐き出すだけのブログを書くのもいい。