オンナの集団的自衛権

お久しぶりです!

このブログを更新するの、いつぶりなんだろう?そもそもブログとして成り立ってるんやろうか?自分でも首をひねりながら、書いてます。今回は手短にいきます。

 

実は今日、わたしにとって一番地球が自転してほしくない日曜日でした。前回祭りについて書いたような気がしますが、今日はそれのアレの前日なんです……

 

そう、W杯決勝の前日!

W杯が終わる前日!

 

ついに来てしまいましたこの日が……途中からは忙しくて全試合しっかりとは見れてないんですけど、やっぱりあるのとないのでは気分が違うじゃないですか。浮かれるし、楽しいし、話題が尽きない。そのパワーは、あまりサッカーに興味がなかった我が家でも毎回勝者予想をしてしまうほど(ちなみに、わたしはドイツが優勝すると思う)。

 

まあそれもそうなんですけど、個人的にここ数週間はいろいろありました。「千歩進んで千歩下がる」ような、まさに激動の日々です。結果的にプラマイ0なのかもしれないけど、身体には時空を超えてきたような疲労感が残ってしまいました……って、いっぱい鍵をなくしたり、突き指したりしただけなんですけどね。

 

で、ここからが本題なんですけど、「身体には時空を超えてきたような疲労感が~」とかって自分で自分を書くの、めっちゃきしょくないですか?

 

突然ですが、わたしは一人称が「アタシ」の小説はあまり好きではありません。だいたい女性作家が書いてて、「仕事と結婚、どっちをとればいいの~~!?」っていうやつとか、「毎日孤独なの。アイツのイヤホン舐めたい」っていうやつです。うまく言えないけど、汲み取ってください。

そういうの見るたびに、「うわ~ッ!」ってなっちゃうんですよね。あくまで個人的にですけど。なんでだろう?

 

たぶんそのヒントがあると思われる、わたしが先ほど感じた「時空を超えてきた疲労感」的きしょさについていろいろ考えました。

 

たぶん、きしょい理由は「自分自身を特別な領域にすべり込ませよう」みたいな意識が見え隠れするからなんだろうと思います。

たとえば自撮りの写真とかってだいたいきしょい。別に顔がどうって話じゃなく、承認欲求を満たすために自撮りをして加工して、それをSNSに上げるっていう精神に「ああ……」と思う。

 

きっとそういう小説もおんなじなんだと思います。で、その手段に「オンナ」を使ってるのがまた苦手なポイントなんです。美容とか、結婚とか、出産とか、女の幸せとか、そういうオンナのアイコンを強く意識したオンナの主人公が、世間を皮肉ったり、オトコを皮肉ったり、自由奔放に飲んで騒いじゃってたり。あるいは思春期真っ盛りのオンナが詩人ぶって、芸術性の高い愛を育んじゃってたり。

 

たとえば(ないだろうけど)それを男性が読んだらどうなんでしょうね。「女ってこんななのか~!めんどくせえ!」と思われるのでしょうか。

わたしがこんなネチネチネチネチ姑みたいなブログを書いてるのは、そこなんです。男も女も集団的自衛権を持ってて、異性に批判的にならざるを得ない瞬間っていうのが必ずやってくる。2ちゃんねるとかで、ブス批判とかしてる人をよく見るのはそれだと思うんです。

そんな小説読むと「わたしはこんなじゃない」と思いながら、「分からんでもない」とも思える場面ってどうしてもあって、その度に、小説の主人公に自分を投影してるわたしも「自分自身を特別な領域にすべり込ませよう」って思ってるオンナだっていうのを痛感して、オトコの集団的自衛権でボコボコにやられてしまうんじゃないかってビクビクしてしまうんです。もし対象がわたしじゃなくても、自分が一番使いたくなかったオンナの集団的自衛権を使ってしまって、そんな自分がまた気持ち悪い。

 

わたしは普段地味な女なんで、余計そんなことを考えてしまいます。オンナの集団的自衛権を使うことで、自分が小説の主人公と負けず劣らずオンナであることを感じるのが、かなり嫌だ。

 

う~ん、自分でも何書いてるのか分からなくなってきました。愚痴っぽいし鬱っぽいし、最初はこんなん書くつもりじゃなかったのになあ……やっぱり「時空を超えてきたように」疲れてるのかもしれません。のわりに手短でもないし。

オチがついてないけどなんだか疲れちゃったんで、ここらで一旦箸……じゃない筆をおきますね。もしここまで読んでくれた方がいらっしゃるなら、ありがとうございました。次いつ更新するかは分かりませんが気長に待っててください。